神の宿る町・篠山

歴史と自然「神の宿る町・篠山」

神の宿る町・篠山

京都に直結し土着性と開放性が入り混じった独自の文化がここにはあります。

「小盆地宇宙的な田園都市の良さ」を保持していけたのは、

ここ篠山が「神の宿る土地」だからです。

(篠山五十三次より 詳しくはこちら
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春日神社

春日神社

立派な随身門を入ると、清浄な境内が広がり、神の鎮座地にふさわしい小山と古木を後ろにして、地域の氏神の春日神社があります。
貞観年間(859~877)に藤原基経・時平父子が日置荘を所領していたことにより、藤原氏の祖神を祀る春日大社のご分霊を今の篠山城跡、当時は笹山と呼んだ小山の東側に勧請した。その後、慶長十四年(1609)、築城のため現在のところへ遷座したのである。

波々伯部神社

波々伯部神社

血寄地蔵の東約1キロに波々伯部神社がある。ご祭神は、もと牛頭天王で、現在は素戔嗚尊である。貞観年間(859~877)の創建とされる。天徳2年(958)に悠基国となったとき、八坂神社よりご分霊をうけたというが、承徳2年(1098)、波々伯部村の田堵(自作農民)13人が二十五町八反余の田地を祇園感神院(八坂神社)に寄進し、荘園・波々伯部保となった際に勧請したとするのが妥当で、丹波の祇園さんである。
土豪の波々伯部一族が深く崇敬し、応永34年(1427)と永正14年(1517)に奉納した薬師三尊懸仏(町・文)が現存する。その後、波多野氏の祈願所となり厚い保護をうけた。氏子は古くより「宮の党八ヶ村」といい、周囲の八ヶ村である。
祭礼は、8月第1土日で、8台の山車の宮入と神輿3基の渡御があり、2台の造り山(きうり山)で演じられる木偶とよぶ12体の操り人形にまつわるお山の神事(県・民俗)は、民俗芸能の貴重な資料である。
なお、長沢芦州の「月下芦雁図」などの計32面の障壁画(町・文)がある。 青銅鳥居(町・文)の横には、篠山城から2番目の一里塚があった。旅人たちは神社にお参りして道中の無事を祈ったことだろう。

佐々婆神社

佐々婆神社

和田の三叉路を北へ約1キロ、大渕を過ぎ畑川を渡ると間もなく、延期式内社の風格を備えた佐佐婆神社がある。もとは、神奈備山とされる八百里山の麓にあって、社伝に「孝霊天皇(前290~213)の勅令により創建した」とあり、蘇我氏縁の神社とも伝え天正年間(1573~1592)にここに移したと言われる。ご祭神は、天野忍穂耳尊、志夫美宿祢王、天之宇受売命、八幡大神、春日大神、住吉大神などで、中世より畑荘(曽我部荘)の総社である。「丹波志」その他によると、初めは楽々庭大明神といい、のちに八幡神社と称するようになり、縁によって延応元年(1239)後鳥羽上皇のご分霊を隠岐から迎えたとされる。細川氏、波多野氏、畑氏などが崇敬し援護を続け、その後、歴代の篠山城主も尊崇し、社殿の再建や増築をするなど厚い保護をしてきた。境内に、後鳥羽上皇の宝塔と細川満圀の百度石がある。毎年、10月第1土・日の例祭は、畑祭ともいい、近年流鏑馬も復活し、神輿3基、山車10台、太鼓みこし7台が出て壮観華麗である。

佐々婆神社
佐々婆神社